かなりダークな内容になりますが、今回はメキシコの「カニバリズム(cannibalism )」について。
カニバリズムとは、人肉を食べること。言わずと知れた人間の最大のタブーですね。
そんなカニバリズムですが、つい数百年前の古代メキシコ・アステカ帝国では、実際に行われていました。
それについては、以前書いたこちらの記事で詳しく書いています。↓
今回は、有名壁画画家であるディエゴ・リベラの食人について紹介します。
ディエゴ・リベラの告白
ディエゴ・リベラ(1886〜1957)は、メキシコ人なら誰もが知っている壁画アーティストです。
メキシコ壁画運動の中心的人物で、メキシコの最も偉大なアーティストの一人、フリーダ・カーロの夫でもありました。
現在でも彼の壁画作品は、メキシコシティ各地(UNAM大学など)や、海外に残っています。
植民地化後に、スペインからきたキリスト教宣教師らによって「禁止されたはず」の食人文化。ディエゴ・リベラが生まれた頃にはもちろんとっくの昔に禁止され、食人はタブー視されていました。
しかし、ディエゴ・リベラは、
「自分は食人をしたことがある」
と話していました。
「わたしは、人間の肉を食べていた」
以下は、『DIEGO RIVERA — MY ART, MY LIFE』という、ディエゴ・リベラの自伝からの引用です。
つまりこれは、ディエゴ・リベラ本人が語っている内容です。
In 1904, wishing to extend my knowledge of human anatomy, a basic requisite for my painting, I took a course in that subject in the Medical School in Mexico City. At that time, I read of an experiment which greatly interested me.
1904年、私の自分の絵画のために人体解剖学の知識を得たいと思い、メキシコシティの医学部で人体解剖学のコースを受講しました。その時に、とても興味深い実験を読みました。
A French fur dealer in a Paris suburb tried to improve the pelts of animals by the use of a peculiar diet. He fed his animals, which happened to be cats, the meat of cats. On that diet, the cats grew bigger, and their fur became firmer and glossier. Soon he was able to outsell his competitors, and he profited additionally from the fact that he was using the flesh of the animals he skinned.
His competitors, however, had their revenge. They took advantage of the circumstance that his premises were adjacent to a lunatic asylum. One night, several of them unlocked his cages and let loose his oversize cats, now numbering thousands. When the cats swarmed out, a panic ensued in the asylum. Not only the inmates but their keepers and doctors “saw cats” wherever they turned. The police had a hard time restoring order, and to prevent a recurrence of such an incident, an ordinance was passed outlawing “caticulture.”
パリ郊外のフランスの毛皮ディーラーは、独特な食事方法によって動物の毛皮の質を改善しようとしていました。彼は、猫に猫の肉を食べさせました。その食事で猫はより大きくなり、毛皮はしっかりとしてツヤがありました。すぐに、彼の毛皮は競合他社よりもよく売れるようになり、毛皮を剥いだ動物の肉をそのままエサに使っていた(=エサの購入が必要ない)ことから、さらに利益は増えました。
しかし、彼の競争相手たちは嫌がらせをしてきました。競争相手たちは、毛皮ディーラーの敷地が精神病院に隣接しているという状況を利用することにしました。ある夜、競争相手たちは大量の特大猫たちの入った檻を開け放し、逃しました。猫が一斉に入り込んだ精神病院では、パニックが起こりました。精神病患者だけでなく、看護師や医師まで、どちらの方向を向いても「猫を見た」と語るほどの数でした。警察はこの混乱を収めるのにとても苦労し、このような事件の再発を防ぐために、「caticulture」を非合法化する条例が可決されました。
At first the story of the enterprising furrier merely amused me, but I couldn’t get it out of my mind. I discussed the experiment with my fellow students in the anatomy class, and we decided to repeat it and see if we got the same results. We did — and this encouraged us to extend the experiment and see if it involved a general principle for other animals, specifically human beings, by ourselves living on a diet of human meat.
最初は、この進取の気性に富んだ毛皮屋の話を面白い、と思っただけでしたが、その後もその話が頭から離れませんでした。私は解剖学のクラスの仲間の学生と実験について話し合い、同じことをして、同じ結果が得られるかどうかを試してみることにしました。そして私たちは、「共食いすると品質が改善する」という原則が、他の動物にも…特に、人間にも、当てはまるのかを実験することにしました。自分たちも、人肉を食べることによって。
Those of us who undertook the experiment pooled our money to purchase cadavers from the city morgue, choosing the bodies of persons who had died of violence — who had been freshly killed and were not diseased or senile. We lived on this cannibal diet for two months, and everyone’s health improved.
実験を行ったメンバーは、都市(メキシコシティ)の遺体安置所から死体を購入するために割り勘し、暴力で亡くなった人…つまり、殺されたばかりで病気や老人ではなかった人の遺体を選んで食べました。私たちはこの「食人生活」を2か月間続け、その結果、全員の健康が改善しました。
During the time of our experiment, I discovered that I liked to eat the legs and breasts of women, for as in other animals, these parts are delicacies. I also savored young women’s breaded ribs. Best of all, however, I relished women’s brains in vinaigrette.
この実験中に、私は女性の足や胸を食べるのが好きだということに気づきました。他の動物と同じく、これらの部分は珍味です。揚げた若い女性のリブも味わいました。しかし何よりも、私はビネグレットソースで和えた女性の脳が好きでした。
I have never returned to the eating of human flesh, not out of a squeamishness, but because of the hostility with which society looks upon the practice. Yet is this hostility entirely rational? We know it is not. Cannibalism does not necessarily involve murder. And human flesh is probably the most assimilable food available to man. (略)
私は、道徳的な理由からではなく、社会的な理由(食人が倫理的にNGだということ)で、再度人間の肉を食べることありませんでした。しかし、それは真に合理的と言えるでしょうか?そうではないはずです。共食いは、必ずしも殺人を伴うわけではありません。そして、人間の肉はおそらく人間が利用できる最も栄養吸収しやすい食べ物なのです。(略)
引用部分:『DIEGO RIVERA — MY ART, MY LIFE』
内容を簡単にまとめると…
- ディエゴ・リベラが食人をしたのは1904年ごろ、つまり18歳ごろ
- 人体解剖学コースの仲間と一緒に、2ヶ月間人肉を食べた
- 女性の足、胸、脳が好きだった
- 人肉を食べると、実験に参加した人はみんな健康になった
とのこと。
ディエゴの話は嘘?
とはいえ、この話は、ディエゴの作り話であるという説が濃厚です。
Lewis F. PetrinovichやPete Hamillらのディエゴ・リベラに関する2000年ごろの研究では、ディエゴのこの食人の事実は疑わしく、おそらく嘘であろうという結論に至っています。
じゃあなぜ、こんな作り話をしたのか?ってとこですが…
単純に、自分を奇抜に見せたかったから、って理由だと考えられています。
周りに自分を「おかしい奴」だと思わせるために奇行を繰り返した、ダリ的な感じですかね…?
アーティストの考え方はナゾです…。😅
カニバリズムは健康に良い?悪い?
そして、「食人が体に良いのか悪いのか」、について…
自伝の中で、リベラは「人肉を食べることで、より健康になった」と主張していますが、
カニバリズムは「クールー病」という病気の原因になることが、1950年代のアメリカの医学研究者ガジュセック博士によって明らかにされています。
クールー病は、葬儀で遺体を食べる習慣のあったパプアニューギニアのフォア族の間で見つかった脳の病気で、治療不可能な神経の異常をもたらします。
潜伏期間は、5年〜20年。
「クールー」は、フォレ語で「恐怖に震える」という意味の言葉で、その名の通り身体が震える症状が出て、最終的には死に至ります。
なので、ディエゴの「人肉は健康にいい」という主張もデマだといえます。
また、ディエゴは18歳に食人をしてから70歳まで生きたので、クールー病にもかかっていません。(そもそも食人が嘘の可能性が高いので)
クールー病自体、ディエゴの死の直前に発見された病気だったので、ディエゴもそんな病気があることを知らなかったのだと思われます。
アステカ帝国の人々が、人肉を食べることによって何かしらの病気になった、という記録も見たことがありません。
もしかしたら人肉が原因として結びついていないだけで、実は病気自体は存在したのかもしれませんね。
アステカ帝国とディエゴ・リベラの食人の違い
以前書いたアステカ帝国のカニバリズムは、「制度化された食人」でした。
食べられる側の人間は、戦争や反乱の際に捉えた捕虜です。
彼らをアステカ帝国の首都であるテノチティトランに連れていき、宗教的な儀式で生贄となり、その肉を食料にしていました。
また、その肉を食べることができたのは一部の貴族や宗教的に重要なメンバーに限られていた可能性が高いそうです。
前回の記事でも触れたように、アステカのカニバリズムについて「人肉は美味しいものではない」という記録があるので、彼らは人肉が好きで食べていたというよりも、宗教的な儀式の工程の一つとしてカニバリズムを実践していたのでしょう。
ディエゴ・リベラの場合は、完全に個人的な興味によるカニバリズムなので、目的が全く違います。
彼の食べていた人肉は、遺体安置所から買い取った一般人のものです。
しかも、ディエゴ・リベラの自伝では、人肉は美味しいものとして描かれています。(実際に食べたかどうかは置いとき)
ディエゴ・リベラ自身も、メキシコ人のアイデンティティに深く関わる作品を多く残しているので、作品作りのために自国の歴史については勉強しているとは思いますが、アステカ帝国のカニバリズムについて知っていたかどうかは不明です。
また、自らの行い(カニバリズム)をアステカ帝国の儀式と結びつけているような記述もありませんでした。
もし知っていたら、ディエゴなら、「人肉食は、メキシコ人のアイデンティティに強く根付いた文化だ」というようなことも書きそうではありますが。。
決定的な「違い」は、アステカ帝国の食人は「実在した習慣」ですが、ディエゴ・リベラの食人は嘘の可能性が高いということでしょうか…。