コラム

生贄を人肉スープに…?古代メキシコ アステカの生贄とカニバリズム文化

古代のメソアメリカ文明では、生贄食人の文化(カニバリズム)があったといいます。

当時の人々は、どのようなかたちで生贄の儀式や食人を行なっていたのでしょうか?

今回は、ちょっと怖いけど知りたい、その2つの文化について紹介します。

なぜ生贄と食人の文化があったのか?

「生贄」と「食人」。

この二つの文化は、実は繋がっています。

今までの研究でわかっているのは、食べられる人間は、主に儀式で「生贄」としてささげられた人たちでした。

では、メソアメリカ文明の人々はどんな状況で生贄の儀式をして、なぜ人の肉を食べていたのでしょうか?

太陽にささげる生贄

メソアメリカ文明では、広く「生贄」の文化がありました。

その背景には、人々にとって最も大切な「太陽」の存在が関係します。

当時の人々にとっての一番の恐怖は、太陽がなくなってしまうことでした。

そして、人の「血液」と「心臓」は、太陽のエネルギーの元だと信じられていました。

そこで、人々は太陽がいつまでも輝いてくれることを祈って、民衆の中から生贄を選び、その人の血液と心臓を太陽にささげました。

心臓が置かれたチャックモール像

生贄の心臓が置かれていたのが、「チャックモール」と呼ばれる石像です。


Photo by: Luis Alberto Lecuna/Melograna CC BY-SA 2.0

チャックモールの腹部からは人間の血液が検出され、心臓が置かれていたことがわかっています。

チャックモールは、メキシコシティにある「国立人類学博物館」で見ることができます。

あれを見るたびに、ついつい、「ここに置かれていたのかあ…」と、なんとも言えない気持ちで腹部分に注目してしまいます。

生贄の儀式の様子

生贄の儀式は、ピラミッドの頂上などのとても高いところで行われます。

そこで生贄は、生きたまま心臓を取り出されます。

もちろん、麻酔とかもまったくナシです。

心臓をとりだされても人は少しの間生きられます。数秒とかだと思いますが…。

なので、当時の生贄たちは、自分の心臓を自分で見ることのできた唯一の人々なんだそうです。

この絵は、「Codex Magliabechiano(マグリアベチアーノ古文書)」の中に描かれている、アステカ人による生贄の儀式の様子です。

左上に描かれている、チューリップのような丸いものが心臓です。

そして生贄の体は…

そんなこんなで心臓は太陽にささげられるのですが、体の方はどうなったのでしょうか?

生贄の体は、心臓を取り出されたあと、ピラミッドから転げ落とされます。

ピラミッドから落ちきったあと、生贄の肉はトウモロコシと一緒にゆでたスープにして、人々にふるまわれました。

これが、アステカの人々の「食人文化」です。

そのスープは、アステカの人々にとってとても神聖な食べ物でした。

生贄のスープを食べることで、人々は太陽のパワーを得ることができたといいます。

人の肉はどんな味?

ちょっと恐ろしい疑問。

わたしたちは、おそらく一生知ることはないと思いますが、…人の肉は、一体どんな味なのでしょうか?

実は、今も食べられているメキシコの伝統料理の中にヒントがあります。

さっき、生贄の肉を入れたスープの話をしましたが、そのスープは「Pozole(ポソレ)」と呼ばれ、なんと現在でも食べられているメキシコ料理です。

しかし、もちろん今のポソレには、人間の肉は使われていません。

今のポソレには、主に豚肉が使われています。

なぜかというと、

「豚肉が最も人肉に近い味だから」

だそうです…。

ちょっとギョッとしますね。

しかし、「味が近い」といっても、「しいていえば近いかも…」という程度だと思います。

宣教師たちによるアステカ帝国の記録によると、

「人間の肉はうまいものではない」

ということも、言われていました。


↑今の「ポソレ」は、こんな料理です。

この歴史を知ると、ポソレを食べるのに抵抗を感じるかもしれませんが、ポソレは今でもメキシコのお祝い事の際に食べられる、大人気の伝統郷土料理です。

わたしも大好きで、メキシコに行ったら絶対に食べます!

ポソレについてはこちらの記事で紹介しています。

この料理は、メキシコ料理では珍しく「トルティーヤ(とうもろこしのパン)が不要な料理」です。

ほとんどのメキシコ料理はトルティーヤと一緒に食べるので、この点でも例外的です。

植民地化とともに終了した食人文化

さて、スペイン人が500年ほど前にやってきたとき、

彼らはまず「メキシコを植民地化できるかどうか」と見極めるため、メキシコの先住民文化の研究をしていました。

ある日、「重要な儀式を見せてもらえる」ということでスペイン人は何を見せてもらえるんだろう?とワクワクしながら見に行きました。

しかし…その重要な儀式とはアステカの生贄の儀式でした。

スペイン人はこの儀式にとてもショックを受けました。

自分たちの文化からは考えられない出来事だったからです。

そしてその後スープをふるまわれるのですが、少し食べたところで聞きます。「この肉は何の肉なのか?」と…。

その肉がさっきの生贄だと知ったスペイン人は、さらに大ショックを受けます。

スペイン人にとって、アステカの生贄の儀式と食人文化は絶対に許せないことでした。

植民地化する最初の段階で、スペイン人はアステカの人々にこの文化をやめさせるため、必死に説得しました。

数千年続いてきた「生贄の儀式」と「食人」は、先住民のキリスト教への改宗と共に完全に終了しました。

「生贄」にされた人々とは…

しかし、簡単に説得できたわけではありません。

多くのスペイン人宣教師が、やめさせようと説得を試みるも失敗し「生贄」として心臓を取り出されました。

このように、戦いの時に捕まえておいた捕虜も含め「アステカ人に歯向かう人々」は生贄になりました。

しかし、アステカ人たち自身も「自己犠牲」をしていました。

死ぬギリギリまで血を流し続けたり、生贄になる人もいました。アステカ人にとっては、生贄になるのは誇り高く光栄なことだったのだといいます。

気に入らない人を生贄にするのかと思ったら、アステカ人にとって生贄になるのは「誇り」だったり、「生贄」にはいろんな事情が含まれていたようです。

まとめ

知っておきたいのは、当時のアステカの人々は、好き好んで生贄の儀式をしていたわけでも、特別残酷な性格だったわけでもない、ということです。

太陽を守るためには、生贄の儀式はどうしてもなくてはならないものでした。

「生贄の儀式をやめたら世界が自分たちのせいで終わってしまう」「太陽と世界を守らないと!」という義務感があったのです。

この文化が禁止されてから400年以上たちますが、古代メキシコでは数千年にわたって生贄の儀式が行われていました。

実はまだ、禁止されてからの歴史の方がずっと浅いのです。

 

今はもう、メキシコでは生贄の儀式も食人も行われていません。

わたしたちは今、当時のアステカの人々からしたら「存在するはずのない世界」、もしくは、「生贄がいなくても終わらない、信じられないほど幸せな世界」に生きているのです。

そう考えると、なんだかとても不思議な気持ちになりますね。

おわり。

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