今回は、好みが分かれる内容です。
とくに生贄の話、少しグロい話が苦手な人は、読むのやめましょう…
「われこそは異文化理解に自信がある」
という人は、読み進めてください!
もくじ
メキシコの仮面の多様性
「仮面=アフリカ」とアフリカをイメージする人も多いようですが、今までの記事でも紹介してきたとおり、メキシコも相当な仮面大国なわけです。
メキシコには、本当にさまざまな仮面があります。いまも昔も、メキシコ人の発想力と創造力の豊かさはとどまるところを知りません。メキシコを旅していくなかで、わたしも本当にいろいろな仮面を見てきて、その想像力の豊かさと世界観、職人たちの創造力に魅了され、圧倒されてきました。
しかしだんだん、「なんかもっとインパクト大きいスゴいのないかな~」とぜいたくなことを思い始めていました。
そんなある日、とんでもない仮面のウワサを聞きました。そしてその真偽をよ~く調べたところ、その仮面は本当に存在したことを知り、とにかくそのヤバさに仰天しました。
わたしが知る中で最もヤバい仮面
それは、現代の感覚ではなかなか受け入れ難いものでした。「異文化理解に自信がある」と、この記事を読みすすめた人の信念をも揺るがすインパクトを持つそれ。
仮面の材料は、なんと「人間の皮」です。
頭はもちろん、全身も人間の皮で包むので「コスチューム」とも言えます。しかし、「他者になるための道具」として考えると、当時の古代メキシコの文化では「広義の仮面」といえます。
今は存在しないその仮面
もちろん、その仮面(かぶる習慣含め)はもう存在しません。信じられないような話ですが、スペイン人がやって来る前のアステカ文明の時代には本当に存在しました。
その証拠に、その時の様子を表した焼きものがたくさん残されています。
↑ 人の皮をかぶった人の仮面。目元と口元が二重になっています。
Photo by: National Museum of the American Indian CC BY-SA 4.0
↑ 余った手の皮がぶらさがっていて、人の皮をかぶっていることが分かります。色味のない黒っぽい部分が「皮」で、赤い部分が内部の人間です。
(さらにこちら(Wikimedia Commonsのページ)からも様々な人間の皮をかぶっている様子を表した焼きものを見ることができます。)
では、このような「人の皮をかぶる」という仰天文化が存在した背景とは何なのでしょうか?
古代メキシコの豊作を祈るお祭り
人間の皮をかぶるという習慣の背景には、古代メキシコの時代に行われていたあるお祭りが関係しています。
そのお祭りとは、毎年行われる「Tlacaxipehualiztli(トラカシペウアリストリ)」。
毎年春分の日に行われる、豊作を祈るお祭りでした。トラカシペウアリストリとは、アステカの言葉で「跳躍する男」という意味です。
穀物の神「シペ・トテック」
そのお祭りの中心になる穀物の神は、Xipe Totec(シペ・トテック)と呼ばれています。シペトテックとは、「皮を剥がれた支配者」という意味。メキシコ人にとって最も大切な穀物に関係しています。
メキシコで最も大切な穀物といえば、トウモロコシ。
トウモロコシは、発芽するときに外皮をはいで出てくる、という特徴があります。なので、シペ・トテックも皮のない金色の状態で描かれたといいます。
↑ Borgia古文書の中に描かれている「シペ・トテック」。
つまり、「皮を剥いだ状態」というのはトウモロコシからインスピレーションを受けているんです。
絵を見ると、「金色の状態」といわれているなんだか黄色でブツブツしている状態の部分がありますが、そこが皮を剥いだ状態だと思います。金色というか、おそらく皮下脂肪の白っぽい黄色を表しているんじゃないかと思います。
シペ・トテックは、アステカ文明だけでなくトルテカ、サポテコ、マヤなど、メキシコ全土で知られ、崇拝されている神でした。
トラカシペウアリストリの祭りの流れ
トラカシペウアリストリの祭りでは様々な儀礼が催行されますが、ここでは皮剥ぎの儀式だけとりあげて紹介します。
- 皮を手に入れる
その皮は、戦争で捕まえて置いた捕虜や奴隷のもの。祭りの40日前に、捕まえておいた捕虜や奴隷の中から数人が選ばれ、シペトテックの生き神として扱われ敬われます。この時、彼らは色とりどりの羽や宝石を身につけ、ご馳走などでもてなされます。 - 皮を剥ぐ
祭りの最初の日に、ピラミッドの頂上にある祭壇に連れていかれ、皮をはがれます。 - 春分の祭りの日、司祭が皮を着る
司祭が人間の皮を着る行為は、「Neteotquiliztli(ネテオトキリツィリ)」と呼ばれ、皮を着ることによってシペトテック神に変身したことになります。皮の上には、生き神だった奴隷たちと同じように、カラフルな鳥の羽や金の装飾を身に付けます。 - 豊作を祈る儀式を行う
祭りの2日目に、皮からまだ血が滴っている状態で豊作を祈る儀式を行います。この儀式は、なんと20日間も続き、司祭はその間ずっと人間の皮をかぶりっぱなしになります。 - 庶民の家をまわる
その格好のまま、庶民の家々を巡り、捧げものをもらいながら練り歩きます。庶民は、捧げものと一緒に「プルケ」というお酒を差し出します。プルケは現在でもメキシコで飲まれているお酒です。 - 20日後、祭司が皮を脱いで祭りが終了する
儀式が終わったあと、やっと皮を脱ぐことができます。しかし、20日もたっているので人間の皮は腐敗してものすごく臭くなります。 - 皮をしまう
その皮の腐敗臭が漏れないように、密封できる設計の蓋つき箱に入れ、地下に保管されました。この保管されたものが、のちに考古学者たちによって発掘されています。これを発見した時には、さぞ驚いたことでしょう…。(どんな状態で残っていたんだろう、とちょっと気になります…。)
このように、このお祭りは、司祭であるアステカの男性が人の皮を着ることから始まり、脱ぐことで終了します。
ちなみに、皮を剥がれるときや祭りの運びは、こんな風に説明されています。(↓)
生贄が生きたまま、その皮膚はほとんど全身にわたって慎重に剥かれ、彼らが死んだ後引き続いて行われる豊作を祈る儀式のなかで司祭がその皮膚を着た。
シペ・トテック(2017年5月18日閲覧)
「生きたまま」て(;´Д`)
また、こんな記述もありました。
シペ・トテックは苦悩と密接に関連した神でもあり、毎年の豊作を保証する見返りとして多くの人身供犠を要求した。
シペ・トテック
シペトテックが関連するお祭りでは、毎年の豊作を叶えるために、本当に多くの人が犠牲になりました。またこの皮を剥ぐ儀式以外にも、トラカシペウアリストリの祭りでは様々な生贄の儀式が行われていたようです。
シペトテックは、かなりシビアで厳しい神様だったんですね…。
皮を着た司祭の様子
皮を着た司祭の様子は、先ほど紹介した像の写真でもわかりますが、古文書にも描かれています。
皮は全身から丁寧に剥がされるので、指の先まで残っている様子がこの画像からもよくわかります。
背中の部分は、赤い何かで繋ぎ止められていますね。
この、「皮を被る」という役をする司祭も、相当大変だと思います…(-_-;)
まとめ
今となっては世界のだれにも理解されないようなこの祭りは、かつてアステカ文明において毎年欠かせない「重要な行事」として催行されていました。その中で人の皮は、「変身のための仮面」という祭りにおいて最も大切な道具として使われていました。
もちろん、「仮面」をつくるために皮をはがれた捕虜や奴隷は命を落としていました。なので、ピラミッド上で行う生贄の儀式と同類の、「生贄の習慣」のひとつでもあります。
この仮面と祭りについて個人的に思うこと
今まで、メキシコの数ある変テコ仮面を見てきましたが、この仮面の存在はただただ衝撃的でした。それに、今まで博物館などでもこの「発掘された人の皮」というのは見たことがなかったし、存在すら知らなかったので、
「実は、発掘されても博物館には出されていない(=表に出てきていない)情報って、いっぱいあるんだろうな…。」
と、アステカ文明の奥深さと神秘に衝撃をうけました。
わたしはアステカ文明に詳しいわけではないのですが、このお祭りなど、アステカについて新しいことを学ぶたびに、「アステカ文明は果てしないな」と、なんだか気が遠くなる気もします。
あと、祭りの流れの中で「庶民の家々を巡り」とありますが、わたしは自分の家に腐りかけの人間の皮をかぶった人が来たらすごく嫌です。(笑)
でも、それが嫌じゃない(むしろありがたいと思う)人々がいたんだと思うと、
「世界観や宗教観のちがいが生み出すひとの価値観の振れ幅の大きさってすごいんだな~」
と思うと同時に、
「(いろんな意味で)人間の想像力は無限大だな」
と思いました。
今回の仮面については、あまりにインパクトが強すぎるので記事にしようか迷いましたが、歴史的に価値が高いけど「コレクターが唯一、持っていたくはないと思った仮面」ということで、記録に残しておこうと思います。
出土品は、ちょっと見てみたい気もするけど…。
おわり。