前回フチタンについての記事を書いてからしばらく経っていますが、その記事(『フチタンは、女の都!世界に感動を与えた「伝説の伝統衣装」とは』)に意外にも反響があり、びっくりしています。
もくじ
フチタンについて
今の時代はセクシュアリティや男女のあり方の多様性について考える機会も多いので、その流れの中でフチタンがひとつの例として取り上げられる機会が増えているようですね。「フチタン」というキーワードのもとでよく取り上げられるトピックが、
- 母系社会であること
- ムシェ(女性として生活している男性。「第三の性」)の存在
のふたつです。
ムシェについては日本のTVでも紹介されたようですね!わたしは現時点であまり知らないので何も言えないのですが…。(ムシェの件でもお問い合わせから質問が来ていたのですが、お答えできず…すみません。)
フチタンが母系社会であることは前回の記事でとりあげています。そしてそれについて実は何件お問い合わせが来ていました。
フチタンについての疑問いろいろ
いただいた意見や質問、指摘は、それぞれとても考えさせられるものでした。
知識と経験不足で、うまく答えられないものもあり…;いい機会に、といろいろリサーチをしたので、この記事の中でフチタンについての疑問にわたしなりに答えてみようと思います。
フチタンは母系社会ではない?
まずはAさんからの質問の内容について、少しだけ端折って紹介します。(紹介の許可いただいています。)
突然メッセージから失礼します。(略)先日、こちら(→https://allartesania.com/story-juchitan-huipil/ )のフチタンの記事を読ませていただきました。これから学校の課題でフチタンについてのレポートを書こうと思っているのですが、フチタンが女性の社会であるという点について質問があります。ネットで調べていると、今はフチタンがもう母系社会ではないという情報を得たのですが、こちらのブログでは母系社会であると話されているので少し混乱しています。一体どちらの情報が正しいのでしょうか??『女の町フチタン』はかなり古い本のようなのですが、フチタンの現状はどのようになっているのでしょうか??また、フチタンについての参考文献などオススメがあればそれも教えてほしいです。(略)よろしくお願いします。
まず、「一体どちらの情報が正しいのでしょうか?」という質問に簡潔にお答えすると、「フチタンが今はもう母系社会ではない」という情報は、”現地の人の認識からすると”正しいかもしれません^^
いま、フチタンが「母系社会である」という意識を持つフチタンの人はあまりいないと思います。というか、最初からいません。というのも「母系社会」という概念自体、西洋や学問が定義したものであって、別に現地の人達の意識の中では「普通に暮らしているだけ」だからです。
わたしも最初、フチタン出身の友人マリアに聞いた時「母系社会?違うよ。」って答えが帰ってきてビックリしました…。でも、よく話を掘り下げてみると、彼女の祖母のところに祖父がいわゆる婿養子になっていることがわかりました。
インタビューしてみた
真相を探るため、マリアの伝手をたどりフチタン出身の30人にインタビューを試みました。
わたしが実際に話を聞いた30人のうち、まずはじめに「フチタンって母系社会だと思う?」と聞くと、なんと30人中27人が「フチタンは(たぶん)母系社会じゃないよ」と答えました。
ちなみに、
- 「そう」:2人
- 「たぶんそう」:1人
- 「たぶんそうではない」:21人
- 「そうではない」:6人
という内訳です。
30人中27人が「そうではない・たぶんそうではない」って、かなり衝撃的な数なわけですが…。フチタン出身の人にとっては、【フチタン=母系社会】という構図にはかなり違和感があるようです。
この時点で、正直、「このインタビューどうしよう」って思いました。あと、「前回の記事の中で”フチタンは母系社会!” って言っちゃった…」とか。(笑)
しかし、一人一人の家庭構造をよ~く丁寧に聞いていったところ、「母系制っぽい要素」が家庭内に見られた人が11人いました。祖父母あたりにその要素が見られたり、親がそうであったり。(祖父母の結婚事情については良く知らない人もいましたが…。)マリアのように「そうではない」と答えた人の祖父がよーく聞いたら婿養子だった例もありました。
内訳は、
- 祖父が婿養子:7人
- 父(もしくは父と祖父両方)が婿養子:2人
- 祖父、父を除く近い親戚(4親等以内)に婿養子がいる:2人
- どちらも婿養子ではない:12人
- 祖父まではわからない(父は違う):7人
ある一人の男性は「自分の家は、典型的なフチタンの母系家族だった」と答えていました。彼は今はメキシコシティで暮らしているのですが、かつてはフチタンで家族と暮らし、祖父も父親も婿養子。男女の分業もあり、まさに『女の町フチタン』に描かれているような生活をしていたのだそうです。しかし、彼を除くと、「自分たちの故郷フチタンは母系社会だ」と積極的に認める人はあまりいませんでした。
また、フチタンには普通に父系タイプの家庭も存在し、多様な家庭のあり方が存在するようです。
やはり数字的に見ても(たった30人のリサーチではありますが、)半分以上が実際に母系制の特徴は家庭内には見られないことがわかったので、「フチタン=母系制社会」と言いきるのは難しい、という結果でした。
『女の町フチタン』は昔の話?
では、『女の町フチタン』に描かれているようなフチタンはもう存在しないのでしょうか?というか、そもそも本当にフチタンは母系社会だったのか…??ここまでフチタンの現地人に「そうではない」といわれると、ちょっと「え、違うの…?」って気持ちになります。
質問していただいたAさんが指摘するように、フチタンについての学術的書籍である『女の町フチタン』は、1996年に初めて出版されたもの。そしてオリジナル(原作)の『Juchitan. Stadt der Frauen. Vom Leben im Matriarchat (ドイツ語)』は、1994年に出版されています。出版が1994年なので、著者のVeronika Bennholdt-Thomsenさんが実際に現地で調査を行ったのはそれよりもさらに前。この本に書かれていることはかなり古く、30年ほど前のフチタンの話なんです。
30年というと、かなり昔。
どんどん世界の状況が変わりゆく中で、人々の生活も変化してきます。核家族化が進むように、「家族のあり方」も変化しています。なので、この本に描かれているような「フチタン」を求めていっても、そこにはその「フチタン」は存在しないかもしれません。
ただし、フチタンが母系社会であったこと・その歴史はほぼ間違いなく事実です。
それを説明するために、まずは『女の町フチタン』という本の著者について紹介させてください。
著者のVeronika Bennholdt-Thomsenさんは、オーストリア出身の民族学者・社会学者です。 1966年以降数十年間にわたり、メキシコに拠点を置いてずっとメキシコの文化を研究してきた方で、「女性と第三世界」というテーマを扱ってきた女性研究の第一人者の一人です。フチタンのあるオアハカ州には、「CIESAS(Centro de Investigaciones y Estudios Superiores en Antropología Social:社会人類学・高等研究調査センター)」という研究施設があるのですが、そこにも携わってきました。
彼女はフチタンでの調査にもかなり長期的にコミットしていて、数年間にわたる「個人での現地フチタンでの住みこみ調査(=人類学的フィールドワーク)」を行い、現地の人々と信頼関係を築き、丁寧な調査をして、フチタンの民族誌(論文)を書き上げました。
そして、その書き上げた民族誌(論文)を書籍化したものが『女の町フチタン』なんです。ここに書かれていることは、また聞きやガイドブック程度の情報ではなく、彼女が数年間現地でともに暮らす中で、社会の一員になりながら自分の目で見てきたものです。
また、前回の記事では母系制社会の2つの特徴について紹介しました。
- 母方が血筋を決定(財産も相続)し、母方の家に住む
- 農業社会で、農業関係の祭りが毎年ある
この1つ目の特徴は、時代の変化とともに消えつつありますが、2つ目の特徴は今でもしっかり残っています。また、ムシェの存在も含めて、ここの地域はメキシコの中でジェンダーを考える際に参照され、研究対象ともなる事例で、最近でもオアハカ政府の援助によって新しい研究がされています。
しかしいまは、インタビュー結果からもわかるように、フチタンの現地の人に聞いても「ここは母系社会ではない」という声が大きくなっています。「わからない」とかではなく、「そうではない」と否定するその背景にあるものは、何なのでしょうか。(現地の人にとってはそんなこと意識したこともないのか、それとももしかしたら、「母系社会」というレッテルを張られることに現地の人が疲れたのか…。)
これらを踏まえて言うと、「フチタンが今はもう母系社会ではない」というのは現地の大多数の人にとっては事実。それに対して、現在も母系制社会の一部や名残的な習慣・価値観は残っていて、それがフチタンの文化社会を形作っているのもまた事実。
これが現在のフチタンの姿と言えると思います。
「核家族」というキーワード
さっき出てきたわたしの友人マリア。彼女のお父さんとお母さんは結婚してからは独立して暮らしています。
そう、ここもポイント。
現代は、「核家族」が増えています。核家族とは、「父、母、子」で、祖父・祖母と一緒に暮らしていない家庭のこと。日本も、今はほとんどがこのスタイルですね。メキシコでは基本的に結婚後も女性の苗字は変わらないので、核家族の場合、なおさらどのような状態が「母系」なのかわかりにくいんです。
違和感
さて、フチタンには今でも伝統的な「母系家庭」は存在していることがわかりました。しかしそれがかなり少数派になっています。
なので、「社会の中でマイノリティを取り上げて、それをその社会の特徴としてしまうことから生まれる違和感」がフチタンの現地の人々の間に生まれているのではないかな?とも思いました。
- 「日本人って、みんなカラテとジュードーができるんだろ?!」
- 「みんなサムライの子孫なんだよね?すごいよね~。」
- 「原宿ファッションの国・日本に行けば、どんな服装もできるね。」
というような。
「いやいや、それ日本の中でも特別というか、少数派ですよ~!」と言いたくなるような。「日本人はだいたい百姓の子孫ですよ~」的な。(笑)
ただ、フチタン出身の人達へのインタビューによると一応1/3の人の家庭には母系制の特徴が(ほんの少しでも)見られたので、カラテとかの例ほどまでの違和感というか「それ少数派だから!!」という否定には繋がらないような気もします。
それでも「フチタンは母系制社会ではない」と答えた人の祖父が婿養子だった例を考えると、彼らが抱えている「母系制社会フチタン」への違和感は、これもあるのかな、となんとな~く感じました。
「ELLE事件」
そしてわたしは、フチタンの人々の「フチタン=母系制社会」という構図へのアレルギー反応は、このELLE事件(勝手に名付けました)が深く関わっているんじゃないかと思っています。
『Chronicling Cultures』によると、超有名雑誌会社のELLE(エル)は、2000年ごろにフチタンを取り上げて記事を書いたことがあります。その記事内でフチタンは、「The Last Matriarchy(最後の母系制社会)」というキャッチフレーズとともにフチタンの女性たちの暮らしぶりが紹介されたわけですが、この記事に対して、多くの誇り高いフチタンの女性たちが
「わたしたちの本当の生き方や価値観が書かれていない。事実が歪められて書かれている!」
と激怒しました。その記事では、彼女たちの「特殊性」や「エキゾチックさ」が際立つように大げさに書かれ、フチタンの女性たちは、
- 「自分たちの文化を丁寧に紹介するのではなく、ただ雑誌の読者を楽しませるためだけに書かれている」
- 「自分たちが知らない人達にネタにされている」
と抗議しました。メディアの大きな特徴であり問題だと思うのですが、文化の丁寧なリサーチと語りがされず、雑に(そして過度にドラマチックに)描かれてしまっていたんですね。
リンク:『Chronicling Cultures: Long-term Field Research in Anthropology』(←30ページに事件の詳細あり)
わたしは、このELLE事件をきっかけにフチタンの女性の間で
- 自分たちが他者に語られること
- 「母系制社会」ということを強調されること
に対して、つよい拒絶の感情が生まれてしまったのではないか、と思いました。それも一説として十分ありえるかな、と。その感情が、彼らに「わたしたちは母系制ではない」という強い否定をさせているのではないか、と。(あくまで推測ですが^^;)
また、この事件のせいで丁寧なリサーチによって書かれた『女性の町フチタン』までもが飛び火を受けることもありました。この事件以降、表立ってフチタンを「母系制社会の地」として紹介することは避けられ、研究もされにくくなったのではないかと思います。
これから、フチタンはどのように自分たちの社会を語り、また語られてゆくんだろう…。
自分の社会を認識するのは難しい
ちなみに、日本が「何系社会」なのかはご存知ですか?
- 「結婚すると女性は男性の性に合わせるし、子どもも父方の苗字を受け継いでいるから、父系かな。」
- 「”嫁ぐ”という言葉自体、父的だし。」
と、日本が父系社会だと思っている日本人もとても多いのですが、現代の日本は「双系(そうけい)」社会だといわれています。父系制・母系制のどちらでもなく、父母両方の出自を辿る家族のあり方です。
しかし外国人に、「日本って、双系なんだよね!」って言われて、ピンと来る人はどれくらいいるのでしょうか。よ~く考えてみれば、日本では、子どもの扶養の義務、相続や継承の権利は、制度的には母方父方両方にありますよね。
自分が属している社会について、実はわたしたちはあまり知りません。自分にとってはあたりまえすぎて見過ごしてしまうというか、その「あたりまえ」に区分や名前があることすら知らなかったというか。
客観的な姿勢で他の社会と比べてみないと自分の社会を把握するのは難しく、また自分が信じているからといってそれが事実とは限りません。それが、いわゆる「自文化理解のムズカシさ」ってやつですね。
でもこれって、結構「体験」としては経験している人は多いと思います。例えば、海外に出て、比べて、初めて自分が日本人的な価値観を持っていることに気付く、というのもそれ。
- 「米、ダシ、醤油が恋しい」➡自分が慣れている味に依存してるだけかも。
- 「海外は治安が悪い…。」➡日本の治安が良すぎるだけかも。
- 「海外の人、楽観的すぎ!おおざっぱ過ぎ!」➡海外の人から見たら、あなたは悲観的すぎ・細かすぎかも。
↑こういうのって、自分の文化圏(わたしたちであれば日本)から出てみて初めてわかる発見ですよね。そして逆に、日本に来た外国人の声を聞いて、初めて気付く自分の文化・社会の特殊性を知ることもあります。
- 「葬式の時、遺族が骨の箸渡しをすると知って本当にビックリした。気持ち悪いと感じた。」
→欧米では遺体は土葬&ノータッチが基本。遺族が遺体を取り扱うのは、世界的に見ても珍しいです。 - 「日本はなんで米ばっかりなんだ!!!米なんかもう見たくない、食べたくない!帰ったらすぐにハンバーガーを食べるぞ!!」
→アメリカ人談。笑 こんな日本人はいないですね。 - 「なぜ、大みそかは”仏教のお寺”に行って、新年は”神道の神社”に参るのか?」
→日本人のごちゃ混ぜな宗教観の不思議…。
こんなふうにして、私たちは自分の社会・文化を「他の社会・文化と比べながら」認識していきます。というか、そうでないと一体何が「自分たちの社会・文化を自分たち特有のものたらしめるもの」なのかがわからないんです。
しかし逆に、このフチタンのように他者(外部の人間)が定義した自分たちの社会に違和感を感じる現地人は、かならず出てきます。実際フチタンの人の話を丁寧に聞いてみると、なんだか「母系社会」というくくりに、彼らを押し付んでしまっている感が否めません。やっぱり、簡単に社会の特徴を語ることはできない。わたしたちでも、海外で語られる「Japan」に違和感を感じることってありますよね。
だからこそ、外部の人間がある文化や社会について語るときには、現地の人の声にしっかりと耳を傾ける必要があります。そして、耳を傾けつつも、その人々の歴史を知り、しっかり「客観性」をもって理解していくことが求められます。そして逆に現地の人が「自分の文化(「自分の体験」ではなく)」を語る時には、客観性をしっかり担保しようとする姿勢が必要です。そして、そのどちらともが本当にムズカシイんですよね。。
たとえば、現地の人は「別にELLE事件とか知らない・影響を受けていない」というかもしれませんが、その時に生まれた「語られることへの拒否」は、言葉にならずともで受け継がれているかもしれない。なぜそう感じるのか、どこでその価値観が作られたのかは、自分でもわからないのです。(もちろん、原因は別にあって本当にELLE事件は関係ない可能性も大いにあります。)
語ることの難しさ
ここまでくると、「ひとの文化を語ること自体、ダメなんじゃないか。」という疑問に繋がってきます。
この記事も、フチタンの人は快く思わないんじゃないか、と。しかしこれは、深い悩みすぎてわたしが簡単に答えられるものではありません^^;ポストモダンのころから、「何の権限を持って、人類学者は他者について語るのか(=おまえ何様だ)論」はずーーーーっと語られ、そしてずーーーっと「コレだ!」という解決策は見つかってないです。「こうすればいい」という小手先の技術だけじゃあ、通用しない時代なんだと思います。
そういう悩みについては、こちら(『自社会・自文化研究に関する考察 : ネイティブ研究者の意義と難しさ』)にわかりやすく書いてあります。
批判しようと思えば、どこまでも自己批判できてしまう文化人類学という学問…。(⇓抜粋)
Ohnuki-Tierneyの「たかだか2,3年現地に滞在していた程度の人類学研究者の事を、ネイティブ(被調査者)の人々が彼らの社会の一員だと思ってくれるだろうと期待するなんて、おこがましいし、相手を馬鹿にさえしているのではないか」という非ネイティブ研究者への批判は、そのまま「数年海外に滞在したからといって、アウトサイダーの視点が身についたと思うのはどうか」となって私に返ってきたのである。
つらい。(笑)
だけど、だからといって「本人たちの語りだけ」で十分なのでしょうか。そこには、自分の視点からはわからない自分の文化の面白さもあるはずで。だから、「いろんな見方があっていい、いろんな角度からその文化を見つめることで、また見えてくるものもあるんじゃないか」と思います。
つまり、ここに書いてあることは私が見たもの、私の考え・思いで、逃げでなく覚悟の意味での「自己責任」。だけどその中から何かしらの納得感というか「確かにそういえるよね」って思えることが発信できればいいなあ、と。そしてそれを読んだ人が、納得できてもできなくてもいい。ただ、丁寧に現地のひとのことばを集めて、その客観視に努めて、そして自分自身の客観視にも努めることは忘れないでいよう、と。すべて、できるかぎり丁寧に。そうやって紡ぎ出していくものなんだろうな、ということを感覚で噛みしめながらわたしもこの文を書いています。
(まあ、、まだ全然うまくできないんですけどね…。反省多し。)
また、優秀でボキャブラリーが果てしない研究者たちがそういう努力をした結果、書く論文がむちゃ難解な文章になってしまうこともあるわけですが(そしてそれを読むわたしもかな~り苦しむわけですが笑)。
それでも、わたしは、学術研究とは関係のないところではあってもここのウェブサイトでメキシコについて紹介していて良かったと思います。論文だと伝わる相手が限られる(というか面倒だから読んでもらえない笑)し、かみ砕いて自分の言葉でわかりやすく伝えられたら、もっとたくさんの人に伝わる「何か」があるのかな、と。
それが何かしらの形で、回りまわってフチタンにペイバックされればいいな、と。
あとは、現地の人が直接表現したり声をあげたりする方法としてインターネット・SNSの普及が効果的ということで、2016年からメキシコの大手通信会社からメキシコ史上初の「無料通信を可能にさせるための先住民のためのプロジェクト」が動きだしていて、これも期待大です。そして、さっき紹介した「CIESAS」でも、現地の人の声を丁寧に拾い上げるための研究プロジェクトや、計画が立てられています。こういう動きがもっとあれば、より多様な「現地からの発信」に触れられるようになりそうです!
あ、わたしも論文もちゃんと頑張ろうと思います。そういえば、そっちが学生の本業だった(笑)
「フチタン」をもっと知る
最後に、Aさんに聞かれていた「フチタンについての参考文献などオススメ」についてですが、『女の町フチタン』以外は、日本語の本も論文もほぼないので、フチタンの現状を知るには、
- とりあえず現地に行く・フチタンの人の話を聞く
- 外国語(英語・スペイン語)の記事・論文を読む
くらいになってしまいます。
このテーマに近いものでは、一応「CIESAS」で2016年にフチタンの新しい論文(スペイン語)があがっています。社会人類学の博士論文みたいですね。
タイトル:『Entre fantasía y realidad. Existencias transformadoras de los muxes juchitecos : explorando identidades discursivas y performativas de hacer género más allá de la heteronormatividad』
ウェブで全部読めますよ~⇒論文リンク
論文タイトルを日本語に訳すと、
『ファンタジーと現実の間で。フチタンのムシェたちの変容的存在:異性化を超えたジェンダー形成の発想的かつ実行的なアイデンティティの模索』
ってかんじです。うおお、わけわかめ。笑
これは、フチタンの、かつて強かった母系制社会が、どんなふうに今のフチタンの人達に影響を与えているのか、ムシェの存在に注目しながら現状が丁寧に書かれています。フチタンにおける「歴史的なルーツを持つ集団的性格のジェンダー構造」に焦点をあてた論文です。
…が、わたしのスペイン語力では難しすぎて…。読むのにめっっっちゃ時間かかります(笑)が、スペイン語に慣れている人はトライしてみるといいかも。
あとは、フチタンのことについての英語のオンライン記事であればこのあたりが興味深かったです。
- The Women Who Run Juchitan (1995) リンク
- A Matrimonial Society in the age of Globalization Juchitan (2005) リンク
文章長いけどね!!!
まとめ
以上、Aさんの質問に十分答えられているかどうかはわかりませんが…、これがとりあえずいまのわたしの答えです^^
「事実」という不確かなものを簡単な言葉でいうことはできませんが、「こういう見方もあるのか~」と思ってもらえれば、そして、いろんな情報をいろんな場所から集めて、理解を深めていく中で、一つ参考にしてもらえれば幸いです!
また今度は、違う人からの同記事へのフチタンのウイピルの刺繍についての質問などに答えられれば、と思います!!