コラム

職人は外国人に影響されやすいけど、「メキシコらしさ」はしぶとい!

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メキシコの職人は、今までの歴史の流れに柔軟に対応しながらどんどん作るものを変化させてきました。

メキシコの「今」の職人たちは、どのような変化の中で生きているのでしょうか?

どんどん変化するメキシコの民芸品

メキシコの民芸品・民族アートは長い歴史の中で、たくさんの変化を繰り返して現在の形になりました。

500年以上前の古代メキシコ時代の時の工芸品と、今の工芸品では、姿かたちも作る工程もまったく違うものが多いです。

最も大きな変化は、スペイン人がやってきた時です。

スペインによる植民地化により、民芸品含めこれまでの先住民の文化はほとんどが禁止され、代わりにスペインやヨーロッパの文化が持ち込まれました。

ヨーロッパの技術は、刺繍、焼きものなどいろいろあります。

それらが古代メキシコの技術にとって変わったものや、技術が混ざりあったものなどがあります。

そんなわけで、メキシコの職人たちは、仕事を得るために、時代の流れと世の中のニーズに合わせて、作るものを変化させながら手仕事を続けてきました。

現在の最大の顧客は外国人、観光客

現在のメキシコ職人にとって、最大の顧客はわたしたち外国人です。

1950年ごろからアメリカの旅行者から評価を受け、今まで「先住民・田舎者の作るものには、価値がない」と思われていたメキシコの地域の工芸品・民芸品・民族アートが一気に注目を浴びるようになりました。

最初注目をしたのは主にアメリカ人でしたが、だんだんヨーロッパの方にもメキシコの手仕事のファンが増えていきます。

たくさんの外国人が民芸品を求めるようになってから、やっとメキシコ人たちもその価値を見直し始めました。

そして、自分たちのアイデンティティーの一部として、様々な手工芸・手仕事をアピールするようになり、現在に至ります。

今でも、外国人によるメキシコの手仕事の需要は大きく、メキシコの手仕事産業において外国人は最も重要な顧客なので、いまメキシコの職人が食いっぱぐれず生き残っていくためには、「外国人のニーズ」は無視できない要素なのです。

外国人の言葉に影響を受けやすいメキシコの職人たち

そんなわけで、メキシコの職人たちは、わたしたちのニーズを探るため、会話の中から読み取ろうとします。

例えばわたしが織物の有名なある村に行き、「赤いものが素敵だ」といいます。

すると、それは「わたし個人の意見」なのですが、彼ら職人の中では「外国人一般の意見」となります。わたしは外国人代表として見られるわけです。

そして、わたし個人だけでなく、彼らの頭の中の「一般外国人のニーズ」を満たすため、その後赤いものばかり作るようになる、ということも起こります。

日本の職人のイメージのように、「昔からの伝統をずっと守りぬく頑固おやじ」的な職人というよりも、メキシコの職人は時代とニーズの変化に柔軟に対応していく人が多いのです。

ただ、実際に外国人と接する機会はあまりないので、あるひとりの外国人の意見にとても影響を受けやすい傾向があります。

外国人のニーズに合わせて変化する「伝統品」

これは、メキシコだけでなく、グアテマラのマヤ系の村でも見られた光景でした。

メキシコのすぐ南の国グアテマラでは、マヤ系の人々が伝統的な民族衣装(ウイピルといいます)を着て暮らしています。

チアパス州から南に下がったところにある、「アティトラン湖」の周りには、たくさんのマヤ系の民族グループが住んでいる村が点在しています。

その湖のほとりにある村々の中のひとつ、「San Antonio Palopo(サン・アントニオ・パロポ)」を訪れたときのこと。

そこの村は、みんな青い織物の美しいウイピルを着ていました。

しかしそのウイピルの歴史を聞いてみると、「伝統的なウイピルはだった」とのこと。

実はこのウイピル、つくりや作り方は変わらないものの、以下のように短い間に色だけ変化してきた歴史があるのです。

  1. 赤いもの赤紫色のもの
  2. 赤紫色のもの青紫色のもの
  3. 青紫色のもの青いもの

このように、だんだん変化していったのだとか。

なぜ変化したのかは、村人に聞いても「ただ流行がそうだったから」という答えしか得られなかったのですが、

作り手の一人に話を聞いたところ、紫色のころから外国人が村を訪れるようになり、彼らが青いものをよくお土産物に買っていったのだそうです。

その結果、日に日に増える外国人観光客のニーズに答えようと、青いものを作る人が多くなったのだそうです。

このように、外国人のニーズに合わせて変化する「伝統品」は、グアテマラにもメキシコにもたくさんあります。

外国人の影響は受けた方がいい?受けない方がいい?

この流れを受けて、中には、「伝統的なものを守るべき!」と主張する人もいます。

しかし、わたしは個人的には影響を受けるのは別にいいんじゃないか、という派です。

なぜならさっき話したように、メキシコの手仕事は時代と共にどんどん変化してきて現在の形になっているので、「伝統的なもの」といわれても、いつの時代のものに合わせれば「伝統」と呼べるのかがわからないからです。

10年前手仕事も、今のものとかなり変わったものも多くあります。

メキシコの手仕事は、外国の影響があってこそ作られたものがほとんどです。

むしろ、「時代の流れとニーズに合わせて柔軟に変化させること」自体が、メキシコ手工芸の伝統なのかもしれません。

メキシコ人の手仕事にはメキシコらしさが宿るもの

しかし、やはりあまりにも外国のニーズに媚びすぎても微妙なので、バランス感覚が必要になりそうです。

それでも、その点に関してはわたしはあまり心配していません。

というのも、今までメキシコ各地を回り職人と接してきて、メキシコ人の手仕事にはメキシコらしさが宿るものだということがわかったからです。

というか、どう頑張ってもその「メキシコらしさ」を拭い去ることはできない、ということが…。

これは、歴史が証明しています。

歴史が証明する「メキシコらしさ」のしぶとさ

約500年前、メキシコにやってきたスペイン人たちは、メキシコの先住民をカトリック化させるために、あらゆる変化を強制しました。

たとえば、仮面職人には聖書の登場人物の仮面を作らせ、田舎の先住民にはカトリックの教会の建物を作らせました。

「こうしろ、ああしろ」と指揮を取るのはスペイン人だったのですが、実際に作るのはメキシコの先住民だったわけです。

すると何が起こったか。

すべてのものがなぜか「先住民テイスト」になりました。

これにはスペイン人も困惑しました。

なにしろ、「普通、これを真似て作って、って言ったらこうなるだろ!」というスペイン人的な常識がことごとく通用せず、なにを作らせても先住民テイストがつきまとうからです。

たとえば、ヨーロッパの絵画に描かれる「プット」という天使の仮面を作らせたときは、

↑ これが

 

↑ こうなりました。

参考:メキシコの仮面はおもしろい!③ どこにでもいるアイツは誰だ)

 

さらに教会の建物を作らせた時も、模様やテイストに、メキシコ感が溢れ出ました。

「じゃ、とりあえず作っておけよ」と言い、その場に先住民を残し、数年後完成を確認しにきたスペイン人はさぞビックリしたでしょう。

天使や聖人に、なぜか先住民の神々がまとっていた「羽の頭飾り」がついていたり、

恐ろしいほどたくさんの金ぴか装飾や、なんともいえない大量の下手ウマ(?)顔で飾りつけられていたり。(これはのちに「ウルトラ・バロック」や「インディヘナ・バロック(先住民的バロック様式)」と呼ばれるようになります。)

先住民的には、「なんかこの人は偉いらしいから、やっぱ頭に羽は欠かせないよね」的な感じだったのではないかと思います。

ツッコミどころ満載すぎてとても楽しいので、メキシコのウルトラバロック教会巡りはおすすめです。

数百年間もの植民地時代を経てもなお、消え去らない「先住民テイスト」と、それに苦労し続けたスペイン人の歴史を見ていると、ちょっとやそっとではメキシコらしさは消えないな、と思わざるを得ません。

「メキシコらしさ」は、とんでもなくしぶといのです!

職人が「今の世界」をどう表現するのかが楽しみ

わたしが今個人的に楽しみにしているのは、「今の世界」をメキシコの職人たちがどう表現するのか、ということです。

仮面職人の調査をしていた時に、ある若い職人が「トランプの仮面を作った」と言っていました。ちょうど、大統領選挙があった時だと思います。

残念ながら、その仮面を見ることはできなかったのですが、若い職人たちは特に世界のさまざまな出来事を題材にして表現を広げています。

若い世代の職人は、携帯電話を持ち、友達とはFacebookでやりとりしていて、今までの親世代の職人では得られなかったような情報を世界中から得ています。

外国人との接触も増えたことで、外の世界のことを知り、制作の幅が広がることに繋がっていると思います。

わたしと同じような年代の職人たちが、ワールドワイドな時代の変化を受けて、どんな新しいものを作るのかが、とても楽しみです!