メキシコ地震の義援金は、締め切っています。
ご協力いただき、ありがとうございました!!
もくじ
メキシコで起こった大地震
9月7日の夜中12時前、メキシコの南部沖、チアパス州とオアハカ州の近くで大地震がありました。
マグニチュード8.0以上という、ここ100年間の中で最も大きい地震だったそうです。
この文章を書いている現在(9月10日)までに確認されている死亡者数は、90人に登ります。
地震が起こった時
わたしはこの日、メキシコシティから1時間ほど離れたテオティワカン遺跡の近くの小さな村に滞在していました。
そして、いつも通り仕事を終え早めに就寝しました。
地震が起こったのは夜中の11時49分だったそうで、実は、わたしは寝ていたので揺れをまったく感じず、地震があったことを知ったのは次の日の朝でした。
遅くまで起きていたルームメイトが、昨晩地震があったことを教えてくれました。
その子は地震が起きたときにも起きていたらしく、でもその時は本当に地震なのか、自分がおかしい(めまい?)のか、よくわからないようなゆるやかな揺れだったようです。
ガタガタ、という感じではなく、ゆら~り、という感じで。
なので、みんな「大した地震ではないだろう」と思っていました。
滞在している家ではほとんどインターネットが使えないので、大震災だったということを知ったのは、仕事が始まってからでした。
テレビもないので、インターネットの繋がる場所に行ってからニュースを見てみると、家族や友達から心配のメッセージが来ていてびっくり。
日本でも報道されている⇒しかも心配で連絡をくれるレベル
…ということは、これってかなりヤバい?!と、ここでやっと事の重大さがわかったのでした。
Facebookにも、「友達に自分の無事を報告しましょう」と、今までに見た事のないようなメッセージが出てきてびっくりしました。
そんなわけで、なんだかfacebook上では大げさなことになっていましたが、わたしは完全に無事です。
その後、村では話題に上らず
その後、一応メキシコ地震の被害を把握しようとするも、テレビもインターネットもほとんどない環境だったので、リアルタイムでは現状を把握できていませんでした。
地震の翌日は、「津波が起こる可能性もある」と言っている人がいましたが、ここは標高2,200mの村。
ここまでは絶対に来ないことがわかっていたので、それについては心配はしていませんでした。
余震も全くなく、ここまで被害がないことがわかっているからか、小さな村だからなのか、みんな何事もなかったかのように日々を過ごし、地震が起きたことすら忘れていってしまっているかのようでした。
週末、メキシコシティで
地震が起きて初めての週末、メキシコシティに行く用事がありソカロ(メキシコシティ歴史地区の中心地)周辺に行ってみると、大きなイベントが開催されていました。
「Fiesta de las culturas indigenas, pueblos y barrios originarios」
という、先住民の文化について紹介するためのお祭りです。
メキシコ各地からアーティストや職人、食べ物屋さんが集まっていました。
このお祭りは9月1~ 10日までの10日間開催されているイベントで、この日は最終日。ソカロ広場は、たくさんの人で溢れかえっていました。
ソカロの隅の、優しさの山
イベント会場の近くを歩いていると、広場の角に大量のトイレットペーパーが山積みになって置いてあるのが目に入りました。
よく見てみると、トイレットペーパー以外にも、ペットボトルの水やお菓子など、たくさんのものが、床が見えないほど大量に置いてあります。
するとそこに、メキシコ人の家族が袋いっぱいに買いこんだ缶詰や布団を係の人に渡しに来ました。
聞いてみると、ここは被災地への救援物資を集めるところだそう。
小さな物資を置く用のテントが張ってありますが、そこのテントにはまったく収まらない量の救援物資が、ソカロ広場の一辺を埋め尽くしていました。
↑ テントから溢れ出る救援物資
↑ すごい量!
さっきも少し書いたように、わたしのいた村では地震のことはあまり話題になっていませんでした。2日も過ぎると、地震のことは誰も話さなくなりました。
「こっちに被害がないから、みんな他人事なのかな?」とちょっぴり残念な気持ちだったのですが、この日の大量の物資を見て、
「やっぱりみんな、力になりたい!っていう気持ちは持っているんだ!」とホッとし、そしてこんなに持って来るなんて!とびっくり&感動しました。
しかも、みんなわざわざ休日のとても混雑するソカロ広場まで、重い荷物を手で運んできているのです。
山積みの物資と、メキシコシティの人々の行動を見て、「わたしも、なにか力になりたい」と強く思いました。
フチタンと被災地のこと
イベント会場の、数100か所はありそうなお店の中に、地震で被害が最も大きかった町「フチタン」周辺の、イスモ地方のウイピル(民族衣装)を売っている女性たちを見つけました。
彼女たちに話を聞いてみると、やはり彼女たちはフチタン出身とのこと。
お祭りなので、明るく笑顔で接客している彼女たちでしたが、地震のことを話すと声のトーンが変わりました。
「故郷が、ボロボロになってしまった。家族とは連絡はとれるけど、もしものことがあったらと思うととても心配。」
と、とても悲しそうに話します。
地震があった時、彼女たちはこのイベントのためにメキシコシティに滞在していたため被災を免れました。
しかし、彼女たちのうちの一人は、家族や友達の家も全壊してしまい、今家族のみんなは緊急シェルターのようなところで待機しているのだそうです。
「このイベントが終わったらどうするの?」と聞くと、
「今日このイベントが終わり次第、家族に会いにフチタンに戻るつもり。」と、話していました。
ニュースによると、フチタンにある建物は3分の1が全壊、もしくは一部が壊れてしまったとのこと。学校、病院、市庁舎など街の重要機関も壊れてしまい、まったく機能していないのだそうです。
余震も続き不安定な中でも家族に会いに行く、という彼女からは、故郷と家族への強い想いが感じられました。
↑ 後日、写真を送ってもらいました。地震後の、彼女の家族の家だそうです。
すごい、瓦礫の山…。
この家だけでなく、たくさんの家がこのようになってしまったのだそうです。
フチタンの民族衣装
彼女たちが故郷と家族を案じながらも一生懸命売っていたのは、たくさんの美しいフチタンのウイピル(民族衣装)でした。
フチタンのウイピルは、ひとつひとつ手仕事のとても繊細な花の刺繍が入った美しい伝統衣装です。
彼女たちが売っているウイピルを見たとき、
「わたしにできることって、今これを買うことだ!」
と突然思い立ち、とにかくその時に買えるだけ、買いました。
そこにあるウイピルはどれも本当に美しく、地震など何も起きていなくても欲しくなるような素晴らしい作品ばかりでした。
フチタン・ウイピルはとても高価なものなので、いつも
「今じゃないかも…」
「サイズが合わない(だいたいどれもとても大きい)」
と足踏みしてしまい思い切りがつかなかったところを、今回一気に「今が買う時だ!」という思いに背中を押されました。
「このウイピルは、今フチタンにいるわたしの家族が作ったものなんだよ。」
と、嬉しそうに、そしてとても大切そうにウイピルをたたみ、手渡してくれました。
この4つが、この時に買ったウイピル。本当に美しい作品です!
ただ実はこのウイピルも、「コレ、だれも着れないよ!」というくらいの巨大サイズです^^;
が、面積が広い分刺繍部分はどれよりも美しく、とても珍しい巨大な花模様で、フチタンウイピルの良さがよく出たものでした。大きな花は、パーにした手よりも大きいです!
本当はコレクションにしたいくらいなのですが、ここからもさらに力になれるよう、このウイピルを販売⇒利益をすべてフチタンの人のために使う(一部ウイピルを再購入⇒利益をまたすべてフチタンへ、と繰り返す)ことで、文化面・収入面での支援をしようと考えています。
そんなことを彼女たちと話し、このウイピルがどんな形になるにしろ、彼女たちの力になれるようにするね、と約束しました。
帰り際、彼女たちは「本当にありがとう」と言ってくれましたが、
なんだかこちらこそ「ありがとう」と言いたくなるくらい、この日彼女たちから買うことができたこと、こんなに素晴らしい刺繍のフチタン・ウイピルに出会えたことを、とても嬉しく思いました。
↑ 今回購入したウイピルを作った、フチタンの女性たち。
被災中心地は、先住民の多いエリア
ウイピルの買い物を終え、ふと周りを見渡すと、フチタンほどではないにしろ地震被害の中心地だった地域、チアパス州や、オアハカ州からのお店がたくさん来ていました。
オアハカとチアパスは、どちらも先住民がとても多い地域として知られています。
今回の大地震では、メキシコの中でも先住民の人達の住むエリアが一番被害を受けています。
被害が大きくなった一番の理由は地理的なものですが、先住民は貧しい人の割合が多く地震対策をしていない家に住んでいる人もとても多かったのだそうです。
手仕事の生産者も多い
そして、先住民が多い=伝統的な手仕事の生産者も多いということ。貧しい中でも、彼らは素晴らしい民芸品を生みだします。
土着の文化の中でもアートやモノ作りは、先住民の人たちの誇りでアイデンティティーの中心になっています。
2011年3月、日本で東日本大震災が起きた時、しばらく経ってから「東北産のものを食べて応援しよう!」という動きがありました。そこには、「緊急支援のあとは、現地の経済活動を応援するのが一番大切」という背景がありました。
今回被害にあった地域の食べ物は自産自消が基本なので、わたしたちの手にわたることはほとんどありません。
しかし彼らの手仕事、民芸品は正真正銘、彼らの作ったもの。
今は被災地にいる誰もが目の前のことであわただしく、しばらくは手仕事どころではないと思いますが、いつか混乱が落ち着き日常生活を送れるようになった時に力になれるよう、手仕事を通して彼らの助けになることができればと思っています。
生産者の人たちが、また前と同じ素晴らしい仕事に戻れるように。
これから
これから、わたしは「オアハカシティー」に移動する予定です。
オアハカシティーには、もともと職人さんに会いに行く予定でしたが、支援物資を届ける拠点の街でもあるので、被災者のためにできることを今考えています。
オアハカシティーには「Centros de Acopio」という、支援物資を届ける場所があるので、災害地で緊急で必要な物(水、保存のきく食べ物、服、おむつなど)を、街で購入してCentros de Acopioに届けたいと考えています。
もし、「わたしの分も届けて欲しい!」という人がいればご連絡ください。わたしのゆうちょ口座を教え、日本円で振り込んでもらったお金をこちらでメキシコ・ペソでおろし、代わりに必要な物資を購入して届けます。(期限は、9月22日(金)日本時間の23:59⇒(変更)⇒10月3日(日)日本時間の23:59までとします!)
わたしがメキシコに滞在している間に、さらにフチタンの被災者の方たちの力になれるかもしれません。
イベント会場に来ていたお店の人たちの中にも、家族や親戚、友達が被災した人はほかにもいるはず。
それでも、このイベントを笑顔で頑張っているオアハカやチアパスの人たち、そしてたくさんの物資を自分の手で届けているメキシコシティの人々の姿を見ていると、小さなことでも「自分にできること」を実行することの大切さを感じました。
救助で助かる可能性のある「72時間」もとっくに過ぎてしまいましたが、今も現地では救助活動が行われています。
どうか、ひとりでも多くの人が助かりますように。