没後なお、現代の建築家にインスピレーションを与え続ける、メキシコを代表する建築家、ルイス・バラガン。
今回は、彼が愛した「メキシコの色」について詳しく紹介します!
メキシコを代表する建築家。
簡素で幾何学的なモダニズム建築の中に、水、太陽の光、ピンク・黄色・紫・赤などの鮮やかな色彩を建築に大胆に取り入れ、鮮やかな壁や空間が特徴的な個人邸宅や庭園を生み出した。
「庭」や「閉じた空間」を特に愛し、メキシコの風土の中にぴったりと溶け込むような彼の建築は、「国際的モダニズム」と「地方主義(メキシコの風土)」の調和を実現した。
彼の建築は、「メキシコの太陽の元で、メキシコの空気の中でしか美しさを発揮しない」と彼自身が考えたため、メキシコでしか見られない。彼が自分のために建てた「バラガン邸」は、2004年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。
もくじ
建築家ルイス・バラガンが選んだ8つの「色」
天才建築家ルイス・バラガンが、一生をかけて作り上げた数々の建築物は、全てメキシコ国内にあります。
「カラフルな建築」として知られている彼の建築作品ですが、実はその全ての建築で使われている色は全部で8種類だけ。
- ピンク
- 赤錆
- 黄土
- 赤
- 黄
- 青
- 白
- 薄紫
彼は、色をとても注意深く選んでおり、強いこだわりを持って彩色していました。
そして、建築にはこの8つの色以外は、決して使いませんでした。
1. ピンク
Rosa Mexicana(メキシカンピンク)とも呼ばれるこの色は、メキシコの太陽を浴びて輝くブーゲンビリアの色です。
メキシコには、ブーゲンビリアの花がたくさん咲いています。メキシコの気候と合い、暑さや虫にも強いため庭木として人気で、メキシコのカラフルな街並みに溶け込み、さらに鮮やかさを演出してくれる花です。
そして実はこのピンク色、ブーゲンビリアだけでなくメキシコの庶民の暮らしの中に根付いています。
例えば、メキシコの屋台や市場にかけられたテント布。美味しい道端のタコス屋台や、骨董市を覗くとき、そこにあるものはテントのピンク色で染まっています。
そして、庶民が集まる屋台や青空市レストランの、安っぽいテーブルクロス。
メキシコの土着の民芸品。
木彫り、織物、刺繍などどれも色鮮やかでどれも人目を引く色使いですが、ピンクは中でも最も多く使われる色の一つです。
さらに、カーペットや飴玉の包み紙、ルチャ・リブレ(プロレス)のチラシや、空を軽やかに飾るパペルピカド(メキシコの切り絵)など、このピンク色はメキシコ人にとってとても身近なもの。「メキシコ人の心の奥深いところに根付いた色」なのです。
1. 赤錆
赤錆は、メキシコの大地の色「赤土」です。
メキシコには各地に赤土の土壌があり、そのエリアを観光していると靴のソール部分が赤く染まってくるほど。そんな赤土、ミネラルなど栄養分が豊富なため農業にも活用され、農民にとっては暮らしの中の色。
染料として、そして焼き物の土としても使われる「赤錆」はメキシコ人にとって(特に一部の人にとっては)とっても身近な色なのです。
3. 黄土
こちらも、メキシコの大地の色。
赤錆よりも身近に感じるのは、日本の土も黄土色だからかもしれません。
と言ってもここでいう黄土は、日本の土壁のような黄土よりもかなり明るいトーンで、メキシコの乾燥した地方を思い起こさせます。
わたしがこの色を見て思い浮かべるのは、オアハカの小さな村の風景。
コンクリートで固めていない道はどこまでも明るい黄土色で、村を歩いている時、風が吹いて砂が舞い上がり、目の前の世界が少しだけ黄土に霞みます。
そんな情景が目の前に浮かび上がる。メキシコの田舎ではとても馴染み深い色なのではないでしょうか。
4. 赤
ヒラルディ邸のプールの印象的な柱の赤。
赤は、メキシコにとって歴史的にも重要な色。「コチニールの赤」です。コチニールとは、ウチワサボテンに寄生する虫から取った「赤色の染料」のこと。
赤のほか、ピンクや橙などいろんな色を作り出せます!
コチニールは、古代メキシコの時代から大規模に生産・利用されていて、素晴らしく鮮やかな真紅を生み出すことのできる、数少ない染料でした。
スペインが植民地化のためにメキシコにやってきた時、新大陸のあらゆるものに驚きましたが中でも「大発見」だったのがこのコチニールの赤でした。
当時のヨーロッパには、これほどまでに鮮やかで美しい真紅を生み出す染料は存在しておらず、綺麗に染め上がった赤い布は「恐ろしいほど高値」で出回り、貴族や皇族、大金持ちしか手に入れられない、非常に珍しい代物だったのです。
それなのに、メキシコに来たら、庶民でもヨーロッパの王族レベルの美しい「赤」を身につけている!!ということで、スペイン人たちは仰天。
コチニールを「完璧な赤」と呼び、染料の正体を隠したままヨーロッパに大量輸出し巨万の富を得ました。(その後、ヨーロッパの他国から数多のスパイが送り込まれ、このコチニールの正体を探ろうと命をかける者もたくさんいました!)
(↑)この本、めっちゃ面白いです!
メキシコ側の先住民からしたら、コチニール大量生産のため厳しい労働を課せられた「植民地時代の苦痛の色」でもありますが、「古代メキシコの時代から人々に愛され続けてきた、メキシコを代表する色」としての価値は受け継がれています。
化学染料の発明により、コチニール染めは廃れつつあり、現在はオアハカのコチニール農場は規模を縮小していますが、現在も、メインの生産地であるオアハカでは、伝統的なタペテ(メキシコのラグ)や織物に使われています。
(↑)オアハカで作られる羊毛タペテ。赤色はコチニールから。
また、古代遺跡の出土品や当時の壁画には、たくさんの「赤色」が使われています。
(↑)テオティワカン遺跡で見つかった壁画の一部。壁画博物館には、この色の壁画が大量に並んでいます!テオティワカンは当時、ほぼ全ての建物が赤で彩られていたため、「赤の都市」と呼ばれています。
古代メキシコの時代から「赤」はこの大地に根付く重要な色なのです。
5. 黄色
黄色は、バラガン建築の中でもひときわ目立つ色の一つ。
特に、ヒラルディ邸のプールに向かう廊下の黄色い空間は、息を呑むような美しさです!!
鮮やかで眩しいほどの黄色は、メキシコの家でもよく使われる壁の色。
そして、イペーの花であり、太陽の光であり、死者を迎えるマリーゴールドの色。
そして、毎日のようにどこかで立つ市場(メルカド)のテントの色。
メキシコの様々な民芸品にもよく使われる色です。
黄色もまた、メキシコ人にとっては生活に密着した身近な色なのです。
6. 青
青については、バラガンの言葉が記述されている本がないのでわからないのですが、
- 標高の高いメキシコシティの、鮮やかな青空
- ベラクルスやゲレロ、オアハカの海の色
など、色々考えられます。
バラガンの使う「青」はとても明るく、暖色系の多い建築の中でひときわ大きな存在感を持ちます。
バラガンに大きく影響を受けた、有名建築家のリカルド・レゴレッタがデザインしたメキシコシティのホテル「カミノ・レアル・ポランコ」には、真っ青なカフェがあります。
まるで明るい日が差す海底のよう。
7. 白
白についても特に記述がないのですが、バラガンは初期のころ(色彩を使い始める前)から白を基調とした建物を作っていました。
色彩を取り入れてからも、彼にとって「白」は重要な色であり続けます。
「メキシコの白」と言えば…
- カトリックの教会の壁の色
- コロニアル風の建物の漆喰の色
国民のほとんどがカトリック教のメキシコには、教会がたくさんあります。内部がシンプルな教会では、漆喰のぽってりとした白色が強く印象に残ります。
(↑)バラガン建築に限らず、現在も「メキシコらしい建物」の多くに「白」はたくさん使われています!
そして、メキシコ人にとって風物詩とも言えるこの花も、真っ白。
甘い香りの花を咲かせるクチナシ(梔子)です。
夏の雨季にメキシコを旅していると、バスケットいっぱいのこのクチナシの小さな花束を歩き売りしているおじちゃんやおばちゃんに出会います。
レストランやカフェのテラスで涼んでいるお客さんに声をかけ、香りいっぱいのバスケットを差し出してきます。
こんな風に、意識しなくてもいたるところに身近に溢れる「白」は、バラガンにとっても「メキシコの色」だったのではないでしょうか。
8. 薄紫
この薄紫は、おそらくメキシコに住んだことのある人ならみんなピンと来る色なのではないでしょうか。
そう、ハカランダ(ジャカランダ)の花の色です!
ジャカランダは、中南米(主にメキシコ周辺)原産の樹。春になると、鮮やかな紫色の花を枝いっぱいに咲かせます!
メキシコに「花見」の文化はありませんが、街路樹として使われるジャカランダが満開になる季節には、やっぱりみんなウキウキモード。
メキシコの街が最も美しく染め上がる季節です!
ジャカランダの花が満開になるのは、毎年3月~4月。
ちょうど桜と同じころに満開になるため、メキシコに住む日本人からは「メキシコの桜」と形容され、花見や日本を恋しく思う一つのきっかけになっています^^
バラガンもジャカランダのこの色が大好きで、よく庭木として中庭に植えていました。彼の代表作の一つ「ヒラルディ邸」では、春になるとジャカランダの花が満開になり、より美しい中庭が堪能できます!
ルイス・バラガンの色への強いこだわり
バラガンの色の選択は、考え抜かれたものでした。
バラガンが色に目覚めたきっかけ
しかし、もともとバラガンが「色」にこだわった建築を作っていたかと言うと、そうではありません。実はもともとは、真っ白な建築を作っていました。
彼が「色」を使い始めたのは、美術工芸の目利きでメキシコ人の友人であり同郷人のチューチョ・レイエス氏の影響が大きく、彼はバラガンに壁の位置や色などの助言をし、バラガンは彼の助言を必ず採用し、意見を仰ぎました。(バラガンが、メキシコ人のアイデンティティーを建築で表現することを意識していた頃でした)
1950〜60年代にバラガンと仕事をしていた、テキスタイルデザイナーのシーラ・ヒックスは、バラガンの色への情熱をこのように語っていました。
「バラガンは、(中略)昼食後、決まって色彩研究に没頭するのだった。リビングルームの天井に近い窓から洩れた自然光が、その色を引き立たせていた。私たちは床に置いていたプレートを、階段の方に持っていって立てかけた。彼は無言のままそれを見くらべ、赤いシリーズを選んだ。それから、画家で収集家のチューチョ・レイエスが紙に描いた絵を一枚取りだし、(中略)チューチョの色は自然で力強さがあり、さらに躍動感があって、自意識過剰でない、と彼は力説した。」
バラガンは、チューチョの「メキシコで暮らした人が共感する、色彩への感覚」を重視していたのでしょう。
そして、カラフルでありながらも、「自然で力強さがあり、さらに躍動感があって、自意識過剰でない」色を求めていました。
なんども繰り返しおこなった丁寧な分析を通して、バラガンが最後に至ったのが「メキシコの風土から抽出された色」だったのです。
「緑」は使わなかった
バラガンは、「緑」だけは絶対に建築に使いませんでした。
それは、「庭」という空間にこだわりを持っていたバラガンにとってはとても自然なこと。「木々の緑よりも美しい緑は、この世に存在しないから」です。
バラガンの建築では、中庭が非常に重要な中心的空間として存在していました。
庭に強いこだわりを持っていたバラガン。
窓から差し込む太陽の光と、それを受けて透き通るように発光する庭の木々の緑色は、カラフルと言われるバラガン建築の中でもひときわ「鮮やか」な要素でした。
晩年の闘病生活中も「色」を愛したバラガン
バラガンは、1982年に引退してからの晩年の6年間ほど、パーキンソン病のため病床に伏していました。
その後、1988年に86歳のときに自宅で逝去しましたが、闘病生活の寝たきりの日々で、彼は好きだったピンク色に染めた紙を枕元に置き、ただそれを眺めたり、触れたりして色を感じていました。
彼ほど色のセンシュアルな力に感応し、さらに、色が人間の精神に及ぼす影響を深く掘りさげた建築家はいないだろう。
建築の中だけでなく、バラガンは自分の人生をもって「色」を愛していたのです。
鮮烈な色を使いながらも決してけばけばしさや安っぽさがないのは、バラガンの壁が「もうひとつの風景」、いわば心の眼で見る抽象化された風土として、そこで暮らす人々の日常にごく自然に調和しているからだ。
バラガン建築の特徴は、鮮やかさ、カラフルさ、などと言われつつも、その中には過度な主張はなく、メキシコの空気と太陽の光の中に溶け込んでいます。
きっと、写真で見るより何よりも、バラガン建築は自分でその場の空気を感じ、メキシコの太陽の光を浴びながら、見るときに真の美しさを垣間見ることができるのでしょう。
まとめ:メキシコの色彩
以上、バラガンの愛した「メキシコの8つの色」についてでした!
メキシコは、世界一カラフルな国と言われています。確かに、壁が色とりどりに塗られた家はメキシコの風景の中に溶け込み、「メキシコらしい街並み」を生み出しています。ピンク、あか、黄色、橙、青と本当に鮮やか。
その鮮やかな色一つ一つが、メキシコの風土とつながり、そこで暮らすメキシコの人々の意識の中に根付いています。
ただ「カラフルだなあ」と思うだけでなく、メキシコのカラフルさの背景にも丁寧に注目していくと、新しい発見があるかもしれません!
参考文献
今回参考にしたのは、こちらの本。